ハン・ガン『菜食主義者』考

f:id:tant_6v6:20210721082751j:plain

 

韓国で最も権威ある文学賞と言われている李箱(イ・サン)文学賞を受賞し、国内で高い評価を得た本作。

英語圏でも、韓国人で初めてマン・ブッカー賞インターナショナル部門を受賞するなど、大きな注目を集めている。

日本語への翻訳はきむ ふな氏が、英語への翻訳はデボラ・スミス氏が行った。

ごく平凡な女だったはずの妻・ヨンヘが、ある日突然、肉食を拒否し、日に日にやせ細っていく姿を見つめる夫(「菜食主義者」)、妻の妹・ヨンヘを芸術的・性的対象として狂おしいほど求め、あるイメージの虜となってゆく姉の夫(「蒙古斑」)、変わり果てた妹、家を去った夫、幼い息子……脆くも崩れ始めた日常の中で、もがきながら進もうとする姉・インへ(「木の花火」)―
 3人の目を通して語られる連作小説集。

CHEKCCORI BOOK HOUSE / 菜食主義者

物語は、支配的な父親に、妻のことを道具としか思わない夫に、ひいては家族制度自体に抑圧され続けてきた妹・ヨンヘを中心に展開していく。

ヨンヘは社会で暗黙の了解として求められる、男性のケア役という役割を上手く果たすことができず、娘として、女性として、評価されずに生きてきた。

自分を押し殺すことに慣れてしまった彼女は、いつからか夢の中で聞こえる声に耳を傾けるようになる。

ある日、夢であるお告げを聞く。

肉を食べるなと。

その声に従い、父親や夫の制止を振り切り菜食主義者となることを選択したことをきっかけに、現実世界と夢の狭間がどんどん曖昧になっていく。


そして、いつしか願望が芽生えるようになる。

何も声を発さなくていい植物になりたいーー美しく咲く花や、どっしりと枝を構える木になりたいと。

夢が現実を侵食し尽くした結果、植物になるために、肉を、ひいては食べること自体をやめるようになり、栄養失調で生死の狭間を彷徨う彼女。

一切の治療を拒否してまで彼女が証明したかったことは、彼女の体ーーずっと男性に支配され続けてきた体ーーは、彼女自身のものであり、自分の体に何をするのも自分で決める権利があると言うこと。

これまで抑圧されてきた反動かのように、命を危険に晒しながらも、閉鎖病棟に入れられても尚自らの意思を押し通し続ける。


一方で姉は、同じく父親に支配される環境にいながら、妹より上手く立ち回ったため、表面上は充実した日々を送っているように見える。

しかし、狂い始める妹の姿を見て、はたと気づく。結局は自分も生き抜くために最適な道を選んでその場その場で適応してきただけで、その選択に、そして選択の積み重なりである人生自体に、自分の意思など介在していないのだと。

自分の周りのものに自分が選び取ったものなどなく、「自分の人生など、ずっと不条理に耐え続けてきた歴史の積み重なりに過ぎない」と悟る。

(ここでカンファギル『別の人』での悟りとリンクする。)

tant-6v6.hatenablog.com

頑張り屋で、自己犠牲精神の強い長女として役割を果たしていたのも、成熟の証ではなく臆病さからだった。父親に歯向かう勇気がなかっただけ、妹の苦しみを見て見ぬふりをしていただけなのだ。

そして、いままで目を逸らしていたが、いざ深く自身と対峙してみれば、そこには自らのあまりの空虚さに絶望を隠しきれない疲れ果てた自分がいる。

そう気づいた時、自分と妹の間に決定的な違いなどないのだと、自分もふとしたきっかけで妹のように壊れてしまうかもしれないのだと知る。

家父長制が女性たちに及ぼす影響の根深さを美しい文章で浮き彫りにした傑作であった。


なお、私は今回英語版『The Vegetarian』を読んだのだが、デボラ・スミス氏による翻訳は国際的には評価されている一方、韓国国内では「誤訳だ」とする見方もあるようだ。

翻訳については、基本的には原典を正確に訳すことが求められるが、特に英語と韓国語では、文法、表現方法等が大きく異なるため、原典のニュアンスを表現するために、ある程度創造的な表現を用いる必要が出てくる。

本作では、静かで淡々とした描写が特徴的だった原典に対し、英訳版では必要以上の装飾が付け加えられていたとの批判があるようだ。

 韓国語はわからないので何とも言えないが、英語の世界共通言語としての支配については、ポン・ジュノ監督作『Okja』で、英語話者が重要な局面で韓国語を恣意的に翻訳するシーンが思い出された。

何はともあれ、家父長制の暴力的なまでの支配力についての小説は多く存在するが、ここまでオリジナリティを持ちつつも普遍的に心に訴えかける作品はほかにないのではないだろうかと思う。

また、ヨンヘの姉の夫*1がヨンヘを性的・芸術的対象として狂おしいほど求め次第に破滅への道へ向かっていく章では、鮮やかなイメージを容易に想起させる卓越した描写力で夫の劣情が記されており、こんなにも美しく情事の描写ができるのかと感嘆した。

世界的に評価されていることも納得の素晴らしい一冊だった。韓国文学を普段読まない人にも強くお勧めしたい。

★★★★★

*1:本作ではヨンヘに近づこうとする人物としてヨンヘの姉とその夫の2名がフォーカスされる。男性である夫がヨンヘの心に比較的接近することができたのは、彼が社会的には成功した男ではなく、男社会の競争から外れた人物だったことも関係しているのだろう(現に、バリバリのサラリーマンだったヨンヘの元夫は、ヨンヘを家政婦か何かとしか認識しておらず、全く誠実に向き合おうとしなかった。)。