キム・ジナ『私は自分のパイを求めるだけであって人類を救いに来たわけじゃない』

セックス・アンド・ザ・シティ」を地でいくバリキャリのつもりだったけれど、全く自由でなかったのではないか…。フェミニズムに目覚め、「女性の党」の党首となった韓国人女性の、家父長制からの脱洗脳の闘いの記録。

honto.jp

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先日、Twitterにてソウル市長選の女性候補の演説をたまたま目にした。

 

mobile.twitter.com

 

ショートカットで眼鏡をかけたいかにもフェミニストといった風貌の女性が、凛とした姿で静かに語りかける。

驚いたのは、市長選の演説にもかかわらず、言及する内容が女性に関するものばかりだということ。

 

このソウル市長補欠選挙では女性候補の躍進が目立ったが、その中でもキム・ジナ候補は15.1%の票を獲得し、12人中4位につけたという。

このような候補が誕生し、多くの票を獲得した背景には何があるのか。

 

さぞかし輝かしい経歴を持っているのだろうと予想しながら本書を開くと、そこには予想外にも失敗、反省が満ちていた。

セックス・アンド・ザ・シティ』に憧れ、白人中産階級のリベラルファンタジーの中で「イケてる私」に酔っていたという筆者。

ずっと「家父長制依存症」をわずらっていたこと、そして今も中毒状態であることを正直に認め、常に自省を繰り返しながらも変化のため前に進む姿勢を赤裸々に記している。

 

この時点で、いわゆるリベフェミ的「キラキラフェミになるための指南書」ではないことに大いに安堵し、好感を持った。

 

以下、本書で特に印象に残った点を挙げていく。

 

骨の髄までしみ込んだ性的対象化や男性崇拝から抜け出さないかぎり、女性は自分の主人にはなれない。好きでやるダイエット? 好きでやる推し活? 自分が選んだこと、自分の欲望と思い込んでいるすべてを疑うことが第一段階だ。それなくしては家父長制からの独立に成功できない。たとえ経済力があっても。

 

昨今は、周囲のためでなく「自分のために」「主体的に」ダイエット、装飾をしようという風潮が強まっているように思うが、果たして自分は本当にそれをしたいのか?結局はメディアに踊らされているだけではないのか?というのは常に自問すべき問だ。

女性たちが自主的に体型管理をするようになって得するのは誰か、一度立ち止まって考えてみたい。

 

気づきを与えてくれたのは、十代、二十代の女性が主導する「脱コルセット」運動だ。(中略)メイクすることが逸脱だった私の世代とは違い、現代の十代、二十代には着飾らないことが抵抗であり、勇気のいることなのだ。(中略)世界が驚嘆する「ビューティー産業強国」の実態はまさに「着飾り抑圧強国」だった。(中略)着飾りに熱中し思いきり締め付けたコルセットは、自分だけの話では終わらなかった。見せびらかすことで周囲の同僚、後輩、街や地下鉄で顔を合わせる不特定多数の女性、オンラインの友人のコルセットまでぎゅうぎゅうに締め上げたのだ。互いが互いに鞭を入れ、若い世代の「着飾らない自由」を奪うところまで。

 

韓国のフェミニズム運動として真っ先に挙げられる「脱コルセット」運動は、社会から要求される装飾を拒否する社会運動であり、日本においてもここ数年でTwitterを中心としてじわじわと認知度を上げてきている。

つい先日、東京五輪にて女子アーチェリーで金メダルを獲得した選手がショートカットだったためアンチフェミニストからの誹謗中傷が殺到し、金メダルを返還しろという要求まで出てくる始末となった。

 

韓国では日本よりフェミニズムが浸透し、フェミニストを自認する若い女性の割合も高い。

フェミニスト運動が先鋭化している分、アンチフェミニストからのバックラッシュも非常に強いのだ。

この女子選手に対する反応を見ても、能力がある女性でさえ、性的対象・鑑賞の対象としてのふるまいを要求されることが見て取れ、女性蔑視の根深さがうかがえる。

 

 

全編を通じ、映画・小説などの作品を多数引用しながら、平易でありつつもまっすぐ胸に届く言葉で語りかけてくるような筆者の言葉選びが光る一冊だった。

ずっと正解の道を歩まなくてもいい、失敗しながら少しずつ学んでいくこと、そして、女性たちとの連帯の輪を広げていくことが重要であるというメッセージが胸にしみわたった。

 

コロナウイルスが落ち着いたら、ぜひ筆者が経営するウルフソーシャルクラブに足を運んでみたい。

https://www.instagram.com/woolfsocialclub/

 

数時間でさらっと読めるボリューム感も良かった。ほかの著書も気になるところ。

★★★★☆