過去と決別し生まれ変わるために 窪美澄 『朔が満ちる』

サバイブ、したのか? 俺ら。
家族という戦場から――
家庭内暴力を振るい続ける父親を殺そうとした過去を封印し、孤独に生きる文也。
ある日、出会った女性・梓からも、自分と同じ匂いを感じた――
家族を「暴力」で棄損された二人の、これは「決別」と「再生」の物語。

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私自身父親との関係とは良好とは言えない。

家計は比較的裕福だったはずなのだが、教育に十分にお金を出してもらえず、留学に行くことはおろか、小学校から大学まで公立以外の選択肢がなかった。

これは経済的DVという一種の暴力なのだと知ったのは大人になってからだった。

今では自分の人生にある程度満足してはいるものの、あの時留学に行けていれば、あの時私立大学という選択肢があったら…と、タラレバの世界をたまに想像してしまう。

 

自分ができなかったことがあるからこそ、自分の子どもには同じ思いを絶対にさせたくない。

この強い願いを心の拠り所に生きてきた人生だった。

安定した就職先を見つけ、とりあえずは経済的に困窮することがないという地位を得た。

 

だがある日友人と結婚・出産について話していた際、素朴な質問を投げかけられ、返答に詰まってしまった。

「子どもに同じ思いをさせたくないのは分かった。でもなんでそもそも子どもが欲しいの?」

 

確かに、新たに子どもを産まなければ、新たな幸せを作り出すことがない一方、新たな不幸を作り出すこともない。

自分の中で考えを整理することができず、この問いは胸の中でずっと燻っていた。

 

それが、今日この小説を読み、一つの答えが見つかったような気がした。

最後のシーンで、苦難を乗り越えた二人が結ばれ、新たな生命が誕生する。

ただ泣くだけのその子を見ていたら、僕が新しく生まれ直したようなそんな気がした。

新しい家族が始まる。

また、ここから始まるのだ。

私は自分が生まれ育った家庭で得られなかったものが満たせるような、幸せな家庭を作りたい。

その根底には、新たな家庭を持つことで、自分自身が過去の記憶から抜け出し、新しく生まれ直せるかもしれないという期待があるのかもしれないと気付いたのだ。

 

作中、梓が良い親になれる自信が持てず不安を漏らすシーンで、文也はこう語る。

結婚にも、子どもを持つことにも、自身があるのか、と誰かに問われたら胸を張って、あります、とは言えない。だけどさ、自分が嫌にされて嫌だったことをしなければそれで十分じゃないか。(中略)自分の親にされたことをくり返さない。その気持ちだけあれば、僕らみたいな二人でも、いつか親になれるんじゃないか。

もちろんこれはエゴであることは否定できない。

ただ、絶対に幸せな家庭を築きたいという思いを強く持った親の元に生まれてくるのであれば、その子どもは少なくとも梓や文也のような思いをすることはないだろう。

 

私自身、彼らほどのサバイバーと言えるかはわからないが、文也のこの言葉にとても勇気づけられた。

 

内容が内容だけに、過去のトラウマと対峙しながら読み進めるのは精神的にきつくはあったが、引き込まれるような展開に数時間で一気に読み切ってしまった。

自分の中で父親への感情は完全に整理しきれておらず、まだ対峙する覚悟もないが、無理に分かり合う必要はないと、憎悪の入り混じる複雑な感情を抱えたままでも良いと小全編を通じて伝えてくれた。


最後に、DV・虐待経験者はこの小説の描写がトリガーとなる可能性が十分にあります。無理のない範囲で読み進めてほしいと強く思います。

 

★★★★☆