チョ・ナムジュ『サハマンション』と堕胎をめぐる現状

近未来、超格差社会「タウン」の最下層に位置する人々が住む「サハマンション」。30年前の「蝶々暴動」とは何か? ディストピア都市国家最下層の人々が住む場所で、相互扶助を夢見る姿を描く。

韓国語版136万部、日本版22万部突破のベストセラー、
『82年生まれ、キム・ジヨン』著者の最新長編小説。

格差社会「タウン」最下層に位置する人々が住む「サハマンション」とは?
30年前の「蝶々暴動」とは?
ディストピアの底辺で助け合い、ユートピアを模索することは可能か?

サハマンションの通販/チョ・ナムジュ/斎藤 真理子 - 小説:honto本の通販ストア

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『82年生まれ、キム・ジヨン』(2018)に大ハマりしたことでチョ・ナムジュを知った私だったが、2019年に書かれた『サハマンション』を読み、その作風の違いに驚かされた。

 

キム・ジヨンでは現実世界をベースにした客観的かつ淡々とした語り口が印象的だったが、サハマンションではディストピア的近未来を舞台に、暴力的ともいえるような感覚的な描写で物語が展開していく。

 

『サハマンション』は、企業により運営される奇妙な都市国家「タウン」を舞台としている。「タウン」は、選ばれし住民であるL、一時的な在留許可を得たL2、そしてLでもL2でもない、何者でもない「サハ」と呼ばれる階層によって構成された厳格な格差社会だ。

 

この構図は、資本主義社会において、出自が確かで、健全な心身と能力とを兼ね備えた人々のみが舞台に立つことができ、成功していく一方、密入国者や、老人、子供、女性、障害者等のマイノリティはそもそも同じ舞台に立つことすらできず、文字通り社会から周縁化されてしまう現実をそのまま反映している。

 

正式な住民たちが高度な技術を活用した仕事に携わる一方、いわゆるケア労働は立場の不安定なサハたちが中心となって担う。

この点、現代の資本主義社会における格差の問題や、ケア労働の問題をまっすぐに指摘している作品だと感じた。

 

作風としては、一人の視点から事実を淡々と語った作品である『キム・ジヨン』に比べ、『サハマンション』では各部屋の住人がそれぞれの物語を語ることで、少しずつ社会の全体像や各登場人物の過去がわかるように描かれており、物語の進行を追うのが多少難解な作品といえるだろう(そのせいか冒頭で挙げたhontoのレビューは振るわないようだった。)。

 

作中、妊娠した女性が中絶を希望したものの、中絶は限定的にしか許されていなかったため、資格を持たない者が秘密裏に中絶の措置を行ったところ、麻酔の量が多すぎたためにその女性が命を落としてしまうという場面がある。

女性が安全に中絶する権利が保障されていなかったために起こった悲劇であり、措置を行った女性の心にも大きな影を落とすことになってしまったと描写されているが、実際の韓国社会においても、堕胎廃止問題は韓国フェミニズムの大きな課題として議論され続けてきたという。

韓国では日本同様、「堕胎罪」を刑法で定める一方で、母子保健法(日本の母体保護法にあたる)によって、一定の条件を満たせばこの罪は適用外となり、医師の判断で人工妊娠中絶を行えることになっている。そのため、実際には「堕胎罪」で処罰されることはほとんどないが、女性の権利の侵害だとして問題視されてきた。

韓国では2019年4月、憲法裁判所が「堕胎罪」が憲法に不合致であるとの決定を下したが、政府は、代替となる立法にはいまだ消極的。宣言文では、戸主制と同じく「堕胎罪」もまた、女性を抑圧し差別する象徴的な制度であることを明らかに認識しなければならないと訴えている。

「堕胎罪を廃止せよ」韓国で女性100人が中絶の合法化を促す共同宣言を発表 | ハフポスト

 

なお、韓国は配偶者同意は不要とのこと。ヘルジャパン…。

日本では、明治時代(1907年)から続く堕胎罪(刑法212−216条)によって堕胎は禁止されていますが、母体保護法によって一定の条件を満たせば人工妊娠中絶が認められており、2020年は14万5340件でした。

人工妊娠中絶が認められる条件とは、①身体的・経済的理由により母体の健康を損なう場合 ②暴行や脅迫によるレイプによって妊娠した場合で、①の場合、原則として配偶者の同意が必要となっています。また、人工妊娠中絶ができる期間は妊娠22週未満です。

世界203か国のうち、人工妊娠中絶にあたって配偶者の同意を法的に規定している国・地域は日本を含む、台湾、インドネシア、トルコ、サウジアラビア、シリア、イエメン、クウェート、モロッコアラブ首長国連邦赤道ギニア共和国の11か国・地域のみです。

2021年3月、厚生労働省はこの配偶者の同意を必要とする規定について、ドメスティック・バイオレンス(DV)などで婚姻関係が事実上破綻し、同意を得ることが困難な場合に限って不要とする方針を示し、日本産婦人科医会より、各都道府県の産婦人科医会に通知されました。

中絶に「配偶者同意」が必要なのは日本を含めて11か国・地域のみ(世界203か国中)

 

本来女性の心身を守るためにあるはずの「日本産婦人科医会」という名のオッサン集団が、アフターピルの薬局での取扱いに頑として反対していることはお笑い草であるが(実際、本気で調べると怒り狂ってしまいそうなのであまり調べすぎないようにしている。)。

 

女性の身体、特に妊娠出産については、いまだに世界各国で様々な理由から規制が行われている。

テキサス州での中絶禁止に関する新たな法案の施行は記憶に新しい(というか未だに信じがたい)が、女性の身体のことは女性が一番わかっているのだし、私たち自身の権利に関わる問題なのだから、女性たちで決めさせてもらえないものだろうか…。

そしてこのような危機的状況においても声を挙げずひたすら沈黙している男たちは何なのか…。

 

 (テキサス州の件に関してはビリー・アイリッシュも激怒していた。)

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正直に言えば、全く前進しないどころか後退しているようにも見える女性の権利の現状を目の当たりにすると、一個人が何をしても徒労に終わるのではないかというあきらめの気持ちも生まれる。

しかし、落ち込みそうになったときは、韓国の女性たちをはじめ、世界中の女性たちが根気強くデモ運動を行い、少しずつ権利を勝ち取った結果今があるのだということを思い出し、自分を鼓舞したい。

 

と、話が大幅にずれてしまったが…、近年、日本でも村田紗耶香を筆頭に田中兆子、古谷田奈月など多数の女性作家がジェンダーディストピアSF作品を発表しているが、本作もまさにフェミニズム的文脈におけるディストピア小説であるといえる。

自身のキャリアの中で様々な題材・作風にチャレンジしてきたチョ・ナムジュ、これからの作品も楽しみに読みたいと思う。

 

★★★☆☆