#小田急フェミサイドに抗議します――社会に蔓延る女性蔑視を直視せよ

 

2021年8月6日午後8時半ごろ、世田谷区の成城学園前駅付近の小田急線の車内で男が刃物を振り回し、20歳の女性大学生を含む10人が刃物で切り付けられるなどして重軽傷を負うという痛ましい事件が発生した。

事件から約一か月経った今、改めてこの事件の背景・影響を振り返りたいと思う。

幸せそうな女性は殺される?

最初の報道を耳にした瞬間、全身を恐怖とやるせなさが襲った。

女性というだけで、ただ電車に乗っているだけで7箇所も身体を刺される。

ただでさえ痴漢に気を付ける必要がある電車という空間で、まさか殺意まで警戒しないといけないだなんて。

逃げ場のないの車内でナイフを向けられようものなら、もはや自衛は不可能だ。

この事件の被害者は、「女性であれば誰でもよかった」と供述している。ということは、自分が刺されなかったのはたまたま、幸運だったからに過ぎない。

事件以降、電車に乗るたび、「自分はここで刺されるのかもしれない」とうっすらとした不安を抱く。

 

犯人の過去、言動が明らかになるにつれ、この事件が典型的なフェミサイドだったと確信を強める。

「電車内を見回して、勝ち組っぽい女性を見つけ狙った」「サークルなどで小バカにする態度を取られたり、出会い系サイトで知り合ってデートしたら途中で断られたり」「6年くらい前から、幸せそうな女性を見ると、殺してやりたいという気持ちが芽生えていた」

 

事件当日、万引きを女性店員により通報されたことが犯行の引き金になったという。

 

殺意を向けられないために、女性は常に愛想を振りまかなければならないのか。

目の前で万引きが行われていても、指摘せず黙っていなければならないのか。

 

男性に都合の悪い言動は一切とらず、常に笑顔で男性の接待をし、一方で幸せそうに見えないよう注意していれば、殺されずに済むのかもしれない。

ただ、そんな人生、何が楽しいのだろう。

 

女性は、男性に仕えるために存在するのではない。

女性は、男性を気持ちよくさせるために存在するのではない。

女性は、男性のためのお飾りではない。

 

この事件の犯人のように、完全に女性を見下している、ミソジニーにあふれた男性は世の中に腐るほど存在する。

女性が好きで、構ってほしくて、でも構ってもらえなくて、次第に女性への憎悪を抱くようになるという恐ろしく自己中心的な思考プロセス。

彼らが好きな女性はあくまで「彼らを必要としてくれる女性、彼らに都合のいい女性」である。

自立した女性、ほかの男と番っている女性など、彼らを必要としない女性に対しては、「女のくせに偉そう」と瞬時に憎悪を向ける。

彼らにとっては女など下位の階級の人間に過ぎないのだから。

 

江南駅殺人事件――「理想のフェミニスト」とは

日本は主要国の中で圧倒的に殺人事件の発生率が低い一方、香港、韓国と並び、女性を標的にした殺人事件の割合は高いという。

周辺諸国での同様の事件としては、韓国で起きた江南駅殺人事件が挙げられる。

2016年5月17日未明、ソウル江南駅付近の商店街公用トイレで見知らぬ男に凶器で刺された23歳の女性が死亡した。

その報道を受け、あるネットユーザーが「女性暴力・殺害には社会が答えなければならない」「江南駅10番出口に一輪の菊の花とメモ1枚を書き込み被害者を追悼しよう」とTwitter上で呼びかけたところ、数日間で江南駅10番出口にはポストイットが数万枚貼り付けられ、大きなムーブメントとなった。

そして、この事件をきっかけに、自らをフェミニストと考える女性が増え、盗撮・堕胎罪等に関してのデモ運動がより積極的に展開されるようになったという。

 

日本でも、小田急線でのフェミサイド報道後、江南駅殺人事件に呼応する形で一部のフェミニストが駅にポストイットを一つ二つ貼り、その写真をTwitterに掲載した。

すると、なんとたったそれだけで、男性ユーザー中心に非難の嵐が巻き起こった…。

「理性的な」男性の皆さまにとっては、公共の場に個人が「落書き」のようなものを貼るのは納得がいかないのだろう。

女性が「感情的」に抗議することは「周囲への迷惑を考えない」「独善的な」「フェミ」らしいと受け取られたのかもしれない。

実のところは、加害者が男だったことから「男」という性別そのものを非難されているように思ったのか、そもそも女性同士が連帯すること自体が怖いのか、または「フェミ」の行動と知ったとたん脊髄反射的に反論している…いったところだろう。

なんにせよ、男性たちは常に正しく、女性たちは彼らの許可する方法でしか声を上げられないというわけだ。

 

一方で片腹痛いのが、特にTwitter上で聞かれる、「○○の問題にはフェミは声をあげないじゃないか」という発言。

女性たちがある問題に声を上げても不満、声を上げなかったらそれはそれで不満。

一定数の男性が持つ「フェミ」への強烈な嫌悪感は、もはや手の付けようがないように思える。

 

これはフェミサイド?

前途の通り、事件当日、小田急線での事件の報道を目にしたとき、すぐに「これはフェミサイドだ」と直感した。

報道後、Twitter上でもフェミニストを中心として「#StopFemicides」等のハッシュタグとともに抗議文が多数ツイートされ、フェミサイドに断固拒否する姿勢を表明する女性が相次いだ。

また、新宿駅前で実際にデモが行われるなど、フェミサイドに対してNoの声を上げる活動が展開された。

一方で、インターネット上では、この事件はフェミサイドではないと反論する男性(または男性的価値観を内在化した女性)の声が相次いでいる。

被害者女性が(救助した女性の話では、刺された女性はどこから出血しているかもわからないほど血塗れで、息も絶え絶えだったというが)「殺されていない」から、加害者が「誰でもよかったから殺したかった」と言っている(またはその発言が大きく取り上げられている)から、これはフェミサイドではないのだという。

 

これらの意見を目にするたび、もう正直なところ反論する気すら起きず、被害者女性が感じた、そして女性が日々感じざるを得ない恐怖を理解する気すらないのだと、絶望感を覚えてしまう。

ただ、どうやらこのような反応は万国共通らしく、前述した韓国でも江南駅女性殺人事件の発生後、この事件が「女性嫌悪犯罪なのか」の議論が巻き起こったという。

韓国では警察・検察が事件発生直後から「精神疾患者の通り魔犯罪であり、女性嫌悪犯罪ではない」という立場を維持し、裁判所も「容疑者が女性を嫌悪したというより、男性を恐れ、相対的に弱者である女性を犯行の対象にした」という趣旨の判決を下した。

 

すべての人が安心・安全に暮らせる社会を実現するために

この事件後、私も含め、女性の多くが電車に乗るたびに恐怖を感じている。

今後、女性たちが公共空間における心身の安心を取り戻すためには、何が必要なのだろうか。

 

今求められているのは、小田急線殺傷事件は、数多くの女性対象犯罪の一つであり、そのような犯罪の背景には構造的な性差別や女性に対する蔑視やからかいなど「女性嫌悪」が存在することを認めることだ。

当然、国レベルで女性対象犯罪予防のため対策を講じることは必須であるが、まずは社会の一人ひとりが、社会中に女性嫌悪が蔓延しているという現状を認識すること。

そして、自らの中に存在する女性嫌悪と向き合い、一人ひとりの女性を、人権を持った一人の人間として扱うこと。

現状認識なしには、問題の可視化すらできない。

 

社会の構成員一人ひとりが自らの持つ問題を認識し、他者への思いやりの心を持つことができるようになるまで――。

長く険しい道のりではあるが、女性だけでなく、すべてのマイノリティが安心・安全に暮らすことができるような社会を目指し、個人レベルで少しずつ意識改革を行っていければと思う。

 

最後に、被害に遭った方々、犯行を目撃された方々が心身ともに回復できることを心の底から願っています。