息を呑むほど美しい映画『モロッコ、彼女たちの朝』
地中海に面する北アフリカの「魅惑の国」モロッコから、小さな宝石のような映画が届いた。カサブランカのメディナ(旧市街)で、女手ひとつでパン屋を営むアブラと、その扉をノックした未婚の妊婦サミア。孤独を抱えていたふたりだったが、丁寧に捏ね紡ぐパン作りが心を繋ぎ、やがて互いの人生に光をもたらしてゆく。
モロッコの伝統的なパンや焼き菓子、幾何学模様が美しいインテリアやアラビア音楽が誘う異国情緒とともに、フェルメールやカラヴァッジョといった西洋画家に影響を受けたという質感豊かな色彩と光で、親密なドラマを描き出す。自分らしく生きると決めた彼女たちが迎える朝の景色とは──。
モロッコ生まれの映画監督、脚本家、女優であり、本作で長編監督デビューしたマリヤム・トゥザニが監督・脚本を務めた本作。
過去に家族で世話をした未婚の妊婦との思い出をもとに製作された作品だという。
なお、製作・共同脚本には、本年度カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に監督作が正式出品された、トゥザニ監督の夫でもあるナビール・アユーシュが参加している。(夫婦共同で映画製作だなんて、ロ、ロマンチック、、、。)
本作は2019年のカンヌを皮切りに世界中の映画祭で喝采を浴び、女性監督初のアカデミー賞モロッコ代表に選出。さらに、現在までにアメリカ、フランス、ドイツなど欧米を中心に公開され、日本でも初めて(!)劇場公開されるモロッコの長編劇映画となったという。
『17歳の瞳に映る世界』をTOHOシネマズ シャンテにて鑑賞した際、たまたまこの映画の予告を目にし、その映像のあまりの美しさに絶対に劇場に足を運ぶことを決意した。
『17歳の瞳に映る世界』の感想はこちら。
個人的に初めて観るモロッコ映画だったのだが、とてもとてもよかった…。
全体的に会話が少なく、表情から感情の機敏を読み取らせる静かな映画。呼吸、周囲の騒音、赤ちゃんの鳴き声など、それぞれの音がクリアに聞こえてきて、それらに自然と神経が集中させられた。
台詞が少ない分、それぞれの女性の性格は表情・動作などの視覚的情報で表現される。
パン屋の店主であるアブラはいつも硬い表情で、何事もきっちりとこなさなければ気が済まないタイプ。
家族での夕食時にはミリ単位でカトラリー配置にこだわる。
夫を亡くしたあと女手一つでパン屋を切り盛りし子育てしてきた彼女は、自分が苦労してきたからこそ、娘には苦労させたくないという思いが強くあるのだろう。
毎晩、娘の勉強の進捗を細かく確認し、ことあるごとに努力の大切さを説く。
そんな彼女は、最初に妊婦サミアを見かけた際は、おそらく、出産そしてその後まで面倒を見切れる保証がない以上、必要以上に交流を持つと自身も辛くなってしまうと思ったのだろう、最初は冷たく接する。
しかし、サミアのあたたかい心や真摯なまなざしに触れ打ち解けてからは、笑顔が増え、生活自体も段々と明るいものになっていく。
二人の心情の変化は、画面や音楽によっても描写される。
後述するアブラの過去のトラウマの吐露があり、サミアがそれに寄り添い距離が近づいた後は雰囲気が一変。
軽快な音楽(普段聞き慣れない音楽なこともあって余計に楽しく感じるのは気のせいだろうか)が鳴り出すほか、画面自体の色彩も一気に明るくなり、二人の生活に文字通り光が差し込み出す。
二人の心情の変化を画面・音響でも描き出すという点はトゥザニ監督も強く意識していたらしく、インタビューでは以下のように語っている。
2人の出会い、そして彼女たちが変わっていく様子にフォーカスしたいと思いました。そのため登場人物たちを、劇場の舞台のように窓が1つあるだけの閉ざされた空間で撮影しました。また、感情を説明する脚本のト書きも極力シンプルにしました。
(映画『モロッコ、彼女たちの朝』世界で脚光を浴びる新星マリヤム・トゥザニ監督のインタビューが到着!—本日公開 | anemo)
2人の距離が近づくきっかけとなったのが、アブラの過去のトラウマの吐露だ。
アブラが昔好きだったという音楽を聴くことを頑なに拒否していることに気づいたサミアは、アブラにその理由を問い詰める。
アブラは、夫を突然亡くしたものの、死後もなお夫の身体は夫の家族に管理され、満足にさよならを言えず、わだかまりを抱えてきた。
それ以降、思い出の音楽も聞かず、女としての自分を殺し自立して生きてきたという。
アブラが夫の死から前に進めていないことに気づいたサミアは、嫌がるアブラに無理矢理思い出の音楽を流し聞かせる。
アブラにとっては深いトラウマであり、本気で抵抗し半ば殺意を持ったようにサミアを睨み抵抗する彼女だったが、結局は過去と向き合うまたとない契機となり、2人は急速に距離を縮めることになる。
設定としては妊婦であるサミアをアブラが助けるという流れではあるが、一方的に助ける、助けられるの関係ではなく、お互いのことを想い真摯に向き合い、助け合う姿がとても印象的だった。
恋愛でも、家族関係でもない、名前の付けられない関係ではあるが、女同士しっかりと連帯している姿が明確に描写されており、権利のないものとして苦しんできたもの同士だからこそ、お互い想いをはっきり口にしなくても通じ合い助け合うことができる、そんな関係に強い憧れを抱いた。
ラストはオープンエンディングとなっており、その先の展開の予想は完全に視聴者に委ねられる。
サミアの最後の慟哭は諦めか、それとも…?
どちらにせよ、サミアの赤ちゃんを愛おしむ姿を見て、2人、そしてアブラとその娘の将来が希望に満ちていることを心から祈った。
この物語はイスラム圏であるモロッコを舞台にしており、作中で語られる未婚の母への社会的スティグマの強さは恐ろしいものがある。
だが、忘れてはならないのは、日本でも未婚の母に対しては依然厳しい目が向けられていることだ。社会的に逸脱者として扱われながら、厳しい経済状況の中でギリギリの生活を迫られているシングルマザーの現状を直視することも必要だ。
これを違う国の物語としてただ消費することはできない。
重要な問題提起をしてくれたこの作品と監督の想いが、より多くの人に届くことを祈る。
この映画を特別なものにしている要素の一つに、映像の圧倒的美しさがある。
2人がパンをこねるシーンは、フェルメールの絵画のようでため息が出るほど美しい…。
まさにこれぞ映画館で観るべき作品。超おすすめです。
★★★★★